Talk:繩紋時代

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繩文 定 繩紋?[編輯]

日文wiki噉話,

「縄文」という名称は、エドワード・S・モース(Edward S. Morse 1838年 - 1925年)が1877年(明治10年)に大森貝塚から発掘した土器を Cord Marked Pottery と報告したことに由来する。この用語は矢田部良吉により「索紋土器」(さくもんどき)と訳されたが、後に白井光太郎が「縄紋土器」と改めた。続いて、「縄文土器」という表記が用いられるようになった。時代の名称が「縄文時代」に落ち着くのは戦後のことである。なお佐原真はこの語の原義を念頭において「縄紋」という呼称を使用している。

個名係翻譯英文「cord marked pottery」而來,日本二戰後學界定咗係「繩文」,不過有學者因循用「繩紋」。--Roy17 (傾偈) 2018年4月26號 (四) 15:59 (UTC)[回覆]

如果睇原意係「繩紋」會貼切啲,不過而家用「繩文」比較多。--Kowlooner (傾偈) 2018年4月29號 (日) 15:30 (UTC)[回覆]